みなさんは、企業に就職するということの法的な意味について、考えたことがありますか?


「通勤の強制」という「人権侵害」について

という、他のブログの記事を読んで、気になったことを書いてみます。

(イケダハヤトさんという有名ブロガーさんの記事です。リンク貼って良いかわからないので、ご興味のある人は、お手数ですが、ご自分でググってくださいね。)


就職は、自分の意思によるもの以外の何物でもない

さて、「企業に就職する」っていうのは、あくまでもみなさん自身の自由意思によるものですよ。そこのところをまず、はき違えないようにしましょう。
 

そこについては、原則として、国家が介入してゴチャゴチャ言ったりはしません。憲法が、職業選択の自由をみなさんに保障していますからね。

(※みなさんが、自分の志望企業に対して、憲法に基づいて採用を強要する権利がある、という意味ではないですよ。企業の側にも、誰を雇うかを選ぶ自由があり、そのような自由を憲法が一定程度保障していますから。)


で、毎日通勤することが求められるような会社に、自分の意思で雇用契約を結んで入社したからには、通勤を求められることは「強制」でも何でもないんですよ。(※労働法に抵触するような勤務形態を企業が求めてくるような場合を除きます。)
 

だって、自分自身の選択でしょ?


それなのに「企業から通勤を求められたことによって、自分の権利が侵害された」とか、もしも本気でそんなことを言い出すのだとしたら、それは、単なるお子ちゃまのワガママのようなもの。

そのブロガーさんは、「企業が従業員に通勤を強制することが人権侵害である」と捉えているように読めるのですが、そのことについて、「本格的に理解されるようにまで、あと15年はかかりそう」とのこと。

残念ながら、100年たっても理解されないだろうな、って思います。時代の先を行き過ぎているから理解されないのではなく、人権の概念を根本的に間違えて捉えているから理解されない、という意味で。

裁判所も、何十年経とうと、相手にしませんよ。





ある企業に就職することについて、

「いや、だって、就職しろって親に強制されたから」

「就職しないと社会的にまずい空気だから」

→だから、ホントは自分の意思で決めたわけじゃないんで!


などと言ったところで、そういった周囲の圧力に屈するか否かを決めるのも、最終的には自分の意思なんですよ。


雇用契約の相手である企業からすれば、本人の意思決定の背後に何があるかなどは、何ら関係のない話です。

なので、「通勤の強制は人権侵害だ!」なんていうのは、企業からすればとんでもないイチャモンつけてこられているようなものですからね。



大人なら、自分の意思で自己責任として引き受けたものなのか、それとも、自分の意思に全く反して不当に強制されているものなのか、そこのところの区別をつけましょう



なお、就職して働くというのは、あくまでも企業とみなさんとの当事者間の契約によるものなわけですから、全員が通勤することを前提としている企業に、自分の意思で入社したからには、「通勤したくない」のであれば、「お給料をもらえなくなる」という結果が待っているだけです。

当然ですよね。自分が契約上の義務を果たさなくなれば、会社だって、契約上の義務(例えば、お給料をあげること)を果たさなくても良くなりますからね。



「そういうのは嫌! でも、通勤したくない!」

というのなら、初めから、そのような企業に入社しなければよいというだけのことです。そして、柔軟な企業を選ぶなり、企業に就職せずに自分で自分の道を切り拓くなり、視野を広げて進路を検討してみましょう。

また、そのこととは別に、従来型の企業も、柔軟な思考でもって、様々な勤務スタイルを許容するようになって頂きたいものだな、とも思います。イケダハヤトさんの記事も、全体としてはそのような趣旨で書かれているのだろうと思いますし、そのこと自体は、私は支持しています。



人権という言葉をデタラメに振りかざさないで!!


憲法は、非理性的なワガママな要求をする自由を人権として保障しているわけではないです。

13条の幸福追求権だって、他人に不当なイチャモンつけたり、契約を破って自分のワガママを押し通したりするような自由は、保障していませんので。


人権という言葉を、デタラメに振り回す人がたくさん出てくると、人権の本来の価値が社会的に低く扱われることになる。そして、人権に関するまっとうな言説まで、聞く耳をもたれなくなる。


そんなことを考えずに、意味もわからないまま「人権」という言葉を都合よく振りかざすのは、この国に生きるオトナとして、ちょっと不誠実な態度なのではないかな、と私は思います。

自分が自由な形態で働けていて、自分がネットで書きたいことを書けているのは、憲法の人権規定のおかげですよね。そのことの意味は、人権が保障されていない隣国をみれば、火を見るより明らかでしょう。

それなのに、その人権の中身を何も理解しようともせずに軽々しく振りかざすなんて、自分で自分の首をしめるようなものですから。



それから、憲法の人権規定は、国家と国民との関係を規律するものであって、本来的には、私企業と一般私人との関係を直接規律するものではないんです(判例及び通説の見解)。

私企業と一般私人である被雇用者との関係は、当事者の自由意思による「契約」で決まります。そうした契約のあり方などは、民法を中心とした私法系の各法律が定めています。それから、労働関係の諸法律によっても、規律されています。(※ついでに言うと、「憲法」は「法律」ではありません。)


※企業と従業員との間の女性差別問題で、憲法14条の平等条項が用いられたように見える例もありますが、それは、憲法の条文が直接的に使われたのではなく、民法の条文の中に憲法の趣旨を読み込んで、その民法の条文を適用する、という間接的な方法をとっています。つまり、憲法の人権規定は、企業と従業員との間に直接的に使えるものではないんです。
 
※ただし、例外として、憲法28条(労組などの権利)があります。これは、企業と従業員との関係を直接的な規律対象にしています。


以上、これだけ憲法関係のことが一大事になっているこのご時世に、影響力ある有名ブロガーさんが「人権」の概念を完全に誤った使い方で広めているのをみて、少し悲しくなったので、書いてしまいました。



でも、ついでなので、もう少し書きます。

つくづく、日本って、本当に、こういうことをどこまでも他人事としてとらえる人が多いのね、と改めて感じてしまって。そういう意味でも、将来がこわいな、なんて思ってしまいます。


憲法改正の議論が絶えない、今のこの時代ですら、

いいオトナが、憲法というものを何も理解できていない、そのことを堂々と言えてしまう、それを読んでも違和感をおぼえない人が多い。

この現状、ほんと、危なっかしいですよ?



私は政治活動家でも何でもないですし、このブログで特定の政治思想を喧伝するようなことは、今後もするつもりはないので、その点はご安心ください。

でも、1人の日本のオトナとして正しく知っておくべき予備知識については、書いても良いでしょう、と。(それに、時期が時期なので、就活の場でも、憲法関係の話題が出るかもしれませんしね。)


みなさんもオトナなので、この日本社会に生きる人間としての自覚と責任感をぜひ持ちましょう。それが、社会人というものです。



※この記事は、現行の日本国憲法を前提として書きました。国家による人権侵害に歯止めをかけるために憲法の人権規定がある、というのが、日本国憲法の基本的な思考枠組みです。

与党の憲法改正案は、そこのところを完全に骨抜きにするものだと、憲法学者のほとんどが指摘していますよね。あの改正案は、国家が人権侵害をしないように歯止めをかけるための憲法ではなく、国民を国家の道具扱いにするための憲法とも言うべきもの。もはや単なる「改正」ではなく、国家のあり方そのものを覆す「革命」です。9条の問題以外にも、そういった大胆な革命的な改正条文が書かれているわけなのですが、それを見て、私自身は、「あの改正案は、戦前の日本に逆戻りするための改正案なのかな」って感じています。

それを知った上で、そうした改正案を支持するか否かは、もちろん各人の自由ですけどね。